読む力は「いつ」育つのか──小学生期という分水嶺
前編では、
「頭が良い」「解き方を知っている」だけでは、本質的な国語力があるとは言えない理由をお話ししました。
後編では、
では一体、何が足りないのか
そして、それはいつ育つのか
について、現場の視点からお伝えします。
「不読の子ども」に立ちはだかる「三つの壁」
長年の指導で確信していることがあります。
読書経験の少ない生徒が国語のみならず学習全般においてつまずくのは、読書不足による次の三つの
「壁」にぶつかっているからだと考えています。
① 抽象思考の「体力」と「持久力」
高校生を教えていると、
「何を言っているのか、
一文一文はわかるのに、
全体として意味が入ってこない」
という生徒が非常に多い。
これは、抽象的な思考の流れを、
長時間追い続けた経験が不足していることが原因です。
読書を通じて、筆者の思考の流れを丁寧にトレースした経験がないために、国語のみならずさまざまな科目で必要とされる抽象思考(とそれに耐える持久力)が身についていないのです。
この「思考の持久力」がないまま大学受験に突入しても、「ペラペラな思考しかできない」ために、深度のある言語理解が要求される国語・英語・社会で相当に苦戦することになります。
②行間を読むための「感受性」と「文学的素養」
難関大や共通テストでは、
心理描写の繊細な小説文や、複雑な機微を表現した随筆が頻出します。
・登場人物の言葉にされない感情
・沈黙に込められた意味
・一見些細な描写の重み
こうしたものを読み取る力は、
公式やテクニックでは代替できません。
たとえば「憂鬱」という言葉ひとつ取っても、
• 辞書的に意味を知っている
• 読書経験(あるいは実地の経験)の中で、その感情を“体感”してきた
この二つの差は、
文章理解の深さに決定的な違いを生みます。
これは国語に限った話ではありません。読書経験の不足している人は、他者理解・人間理解の力が弱いために、共感力や他者との関係調整力といった非認知能力が十分に育っておらず、社会に出てから人間関係において苦労することにもなるのです。
③決定的な「時間」の壁
難関大に合格していった生徒たちには、
例外なく共通点がありました。
小学生の頃から、当たり前のように本を読んでいた。それだけです。
彼らの多くは、意識することなく、
10年以上かけて「読む力の基礎体力」を蓄えてきました。
一方、読書経験の少ない生徒は、
その10年分を、
高校1〜2年の受験期間で取り戻そうとします。が、やはり10年という時間の厚みを1~2年で消化するのは非常に困難です。
小学生期は「取り返しがつく最後の時期」
「頭がいいから、あとで何とかなる」
国語において、
この考えほど危険なものはありません。
読解力は、
数学のように公式を覚えれば急伸する科目ではないからです。
読む力が自然に育つ“余白”があるのは、小学生の時期だけ
と言っても過言ではありません。
中学に入れば、部活と定期テスト。
高校に入れば、受験勉強。
「本を読む時間を、意識的に確保する」こと自体が、
現実的に難しくなっていきます。
※ロンドン大学の研究によれば、3~4歳で読書を日常的に開始した子どもたちの8割以上が学業で優秀な成績をおさめているといいます。個人的には読書開始適齢は8~10歳くらいだと感じていたのでこの研究結果には驚きました。「うちの子、もう10歳なんだけど……」と不安になる保護者の方もいるでしょうが、イギリス(英語)と日本(日本語)では読書に係る認知負荷も文化的背景なども異なりますので、「3~4歳」という数字は、〝できるだけ早く読書週間をつけましょうね〟くらいの理解をしておけばいいと思っています。
今日からできる、現実的な一歩
「でも、うちの子は本が嫌いで……」
そう感じる保護者の方へ。
大切なのは、完璧な読書習慣ではありません。
① 親が「読書する背中」を見せる
子どもは、
「言われたこと」より「見たもの」を真似します。
スマートフォンを脇に置き、
親自身が本を読む姿を見せること。
それだけで、読書は特別な行為ではなくなります。
〝家族の団らん=それぞれがスマホをいじる〟といった家庭環境では読書というのは子どもにとって「非日常」の行為となります。当たり前のように本がリビングにあり、すっと手にとって読めるようになっていること。そういう環境づくりからしてみてください。
※なお、家庭の蔵書数と学校の成績や生涯収入には正の相関関係があることは有名な話です。
そういえば、私の家には母親が若い頃に訪問販売で買わされた百科事典がありました。子どもの頃、私はその百科事典をよく手に取って興味のあるところを読んでいた記憶があります。おかげで様々な分野の雑多な知識が身につきました。その意味で、母や騙されて買った百科事典は、子どもの私にとっては文章を読む上での最低限のコードを身につけることに一役買っていたといえるでしょう。
② 図書館や書店を「特別な場所」にしない
買い物や外食と同じ感覚で、
図書館や書店に足を運びましょう。
近年出版されている本は工夫に満ちたものが多いです。活字離れが進み、市場が縮小する中で出版社は魅力的な本を懸命に作っています。洗練された本文レイアウト、瀟洒な表紙デザイン、最後まで読み通せるよう工夫を凝らした章構成……。
福岡であれば、六本松や糸島にある蔦屋書店がおすすめです。カフェが併設されているので、コーヒーやソフトドリンクでチルタイムを楽しみながら、本を読む。私も子どもを連れてよく六本松の蔦屋書店に行きますが、当たり前のように読書を楽しんでいる親子はたくさんいます。
③ 「活字を読み通す成功体験」を最優先に
読書といえば「文学作品」と短絡する方が多いですが、本であればなんだってかまいません。
伝記漫画、図鑑、興味のある分野の本、なんでもいいのです。
本格的な読書がはじめてなら、100ページにも満たない薄手の本でもいいのです。
活字(を含む)本を最後まで読めたという体験こそが、
次の一冊につながります。
④ 読んだ内容を「対話」する
「どう思った?」
「どの場面が印象に残った?」
正解を求める必要はありません。
自分の言葉で語る経験が、
思考と言語を結びつけていきます。
読んだことを自分の思考につなげることは、子どもの一般的な学習能力や認知能力を向上させます。
また、同じ本について親子で言語的コミュニケーションをとることは、親子間の愛着を深めあい、子どもの自己肯定感を育みます。
福岡国語塾ARCAが、小学生指導にこだわる理由
ARCAが、
小学生の段階から「読む力」にこだわるのは、
合格実績を作るためだけではありません。
高校生になってから、
「もっと早く始めていれば……」
と悔やむ生徒や保護者を増やしたくないからです。
ARCAが目指すのは、
問題を解くための国語ではなく、
文章と正面から向き合える力を育てること。
それは、大学受験だけでなく、
その先の人生でも、確実に武器になります。
手遅れになる前に
小学校期は、
取り返しがつく、最後で最大のチャンスです。
もし今、
「このままで大丈夫だろうか」と
少しでも不安を感じたなら――
その感覚は、
きっと間違っていません。
福岡国語塾ARCAは、
その一歩を踏み出すご家庭と、
本気で向き合います。
まずは無料学習相談にお越しください。→お問い合わせはこちらから

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