拍手の中で、私は何を失っていたのか
大手予備校の教壇に立つこと15年。
90分の授業が終わると、教室に拍手が響く。巨大な黒板を背に、チョーク一本で数百人を惹きつける快感。それは、正直に言えば、「教師冥利に尽きる」瞬間でした。
「わかりやすい」と言われる授業。 高い評価を得る授業アンケート。
でも、ある時ふと思ったのです。
生徒の成績が、思ったほど上がっていない。
理由は明白でした。授業の主役が、生徒ではなく、私自身になっていたからです。
その事実に気づいた瞬間、顔から火が出るほど恥ずかしくなりました。
魚を与えるのではなく、釣り方を教える
それから5年間、私は授業を変えようともがきました。
発問を増やし、生徒に考えてもらう時間を増やす。 答えを「解説」するのではなく、「思考の仕方」を教える。 生徒が自分の力で問題を解けるようになる授業へ。
ところが、授業の評価が下がり始めました。
「能力不足なのか」 「やり方が間違っているのか」
迷いながら授業を続けていたある日、一人の生徒が質問に来ました。
いつものように、答えを教えるのではなく、彼自身が解答への道筋を発見できるように対話を重ねました。
すると、帰り際に彼がこう言ったのです。
「先生の質問対応を受けるようになってから、国語が面白くなったし、成績も上がったんです」
社交辞令だったかもしれません。 でも、その言葉は私の中で、ある確信に変わりました。
今の授業スタイルは、大教室には向いていない。 生徒一人ひとりの思考のリズムに寄り添うには、目の前の生徒を、もっと減らさなければならない。
「ぬるま湯」を出る覚悟
大手予備校で築いたポジション。 出版した参考書。 保障された地位と収入。
でも、その「ぬるま湯」につかったまま、必死に戦う受験生を叱咤する資格が、私にあるのか。
そして何より——
私が本当にやりたい教育は、ここではできない。
その思いが、日に日に強くなっていきました。
「福岡に、国語専門塾を作ろう」
おそるおそる妻に打ち明けると、彼女はこう答えました。
「もう決めてるんでしょ。気のすむまでやったらいいじゃない。軌道に乗るまではなんとか食いつなげばいいから」
そのやり取りがあったのは、昨日のことです。
2026年4月、福岡国語塾ARCAを開校します
開校まで、時間はほとんどありません。 教室の場所も、規模も、まだ決まっていません。
天神・赤坂・薬院あたりで、小さなテナントかマンションの一室から始めるつもりです。
現在、生徒数は0名。 ちっぽけで、誰も知らない塾です。
でも、だからこそ。
この塾の1期生を、募集します。
あなたの国語の学習を、徹底的に支えさせてください。
大教室の拍手ではなく、 目の前のあなたの「わかった」という表情を、 私は見たいのです。

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